本邦製鉄関係資料(真板資料)について

東京大学名誉教授  原 朗

  昭和62年度に, 経済学部堆薦の特別図書として購入された本邦製鉄関係資料は, 明治後期から戦後初期にかけて作成された文書33点である。その他別途購入した関連資料を含めて総計二百数十点から構成されるこの資料は, 蔵書印や内容からみて, 戦時中以来, 鉄鋼業界で活動された真板謙蔵氏の旧蔵によるものと推定される(以下, 本資料を『真板資料』と呼ぷことにしよう)。真板氏は, 浦和高等学校を経て1940年3月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業され, 戦時中は鉄鋼統制会企画部に, 戦後は富士製鉄の技術部・企画室・海外事業部・大阪営業所・企画部に勤務し, 富士鉄鋼センター常務取締役となり, 1982年9月19日に死去された方である。真板資料は, 文書の作成時点を基準として, 明治・大正期, 戦時期, 戦後初期の三つの文書群に分けることができる。以下, それぞれについて, 内容と資料価値を簡単に紹介しよう。

  第一の部分は, 量的には最も小さい(約20点)が, 官営製鉄所の拡張予算書や, 大正13年まで釜石製鉄所を経営した田中鉱山株式会社の考課表など, まとまった貴重な文書を含んでいる。前者については, 新日本製鉄株式会社が所蔵する『製鉄所文書』の欠落を補うことが期待できるし, 後者は, 従来ほとんど知ることができなかった民間こよる銑鉄工場経営の定着過程を明らかにするものである。このほか, 官営製鉄所の『販売旬報』が1926年から29年まで揃っていることも意義が大きい。

  以上の第一部分が旧蔵者真板氏の調査業務に関わる文書群と考えられるのに対して, 第二の部分は, 鉄鋼統制会企画部に勤務していた旧蔵著の手元に, 計画・統制の実務を通じて集まったものと推定され, それだけに鉄鋼統制会の活動の核心にふれる重要な文書が多い。鉄鋼統制会関係の資料としては, すでに,一橋大学所蔵の『水津利輔氏旧蔵資料』(以下, 『水津資料』, 水津氏は元鉄鋼統制会企画部長)が知られているが, 『真板資料』には『水津資料』には見られない文書も多い。

  例えば, 鉄鋼統制会「大東亜経済建設計画鉄鋼部門基準案」(1942年3月), 同「第二次鉄鋼生産力拡充計画」(1942年5月)からは, 太平洋戦争緒戦の勝利に基づく楽観が頂点に達した時期の壮大な長期生産計画の内容を詳細に知ることができる。また, 鉄鋼統制会「昭和十七年度十八年度鉄鋼生産計画二鉄鋼統制会ノ参画セル経緯並ビニ各工場ヘノ生産割当ノ実施」(1943年5月)は, 1942・43年度物資動員計画の編成と実施過程における鉄鋼統制会の役割を簡潔に示す貴重な文書である。

  以上はごく一部の例示にすぎず, 本資料を, 上の『水津資料』や甲南大学所蔵の『平生釟三郎日記』(平生氏は元鉄鋼統制会会長)等と総合して検討すれば, 鉄鋼にl関する物資動員計画の編成・実施のプロセスを, 事前的な情報交換も含めて再構成することが可能であり, これは, 日本で試みられた経済の計画化の実態について貴重な情報を提供すると思われる。また, 『真板資料』は鉄鋼統制会の前身となる統制団体に関する文書を含む点でもユニークである。すなわち, 『日本鋼材連合会議事録』・『日本鉄鋼連合会議事録』には, 詳細な議事記録こそ含まれていないが, 従来ほとんど知られていなかった1937−40年における両団体の活動内容が体系的に示されている。

  第三の部分は, 量的には第二と匹敵し, 内容上は第一の部分と同じように旧蔵者の調査業務に関わる文書群であって, 鉄鋼統制会を継承した日本鉄鋼協議会がGHQ/SCAP提出用ないし業務用に作成した統計資料, 鉄鋼復興会議関係資料等を含む。その内容はやや雑多で, まとまりに欠けるが, 行政・管理機構の動揺により散逸が甚だしい終戦直後の資料を今後発掘・収集して行く際に, 本資料は, その一つの核になり得るといえよう。

  経済学部図書館はすでに相当量の鉄鋼業関連資料を所蔵しているが, 今回これに真板資料が加えられたことにより, 鉄鋼業史・産業史・企業史の研究がさらに進展することが期待される。

(初出: 東京大学附属図書館報『図書館の窓』Vol.28 No.7/8, 1989.8)