概要

 記録資料は記録媒体と記録材料から構成される。このうち情報の保存のために古くから注意が払われたのは記録媒体の方であった。紙が蔡倫の改良以来、2000年近くも記録媒体の第一線にあるのは、扱い易さに加え、優れた長期保存性に拠っている。ただし、紙の保存には多大な空間を必要とする。

 これに対してマイクロフィルムは、情報を6分の1から50分の1に圧縮できるため、図書館や文書館、資料館(以下、保存機関)での書庫狭隘化解消用、貴重資料の閲覧用、劣化資料の代替物、さらには頒布用複製物として広く活用されてきた。1839年にJ.B.ダンサーが最初のマイクロ写真を撮影してから170余年、現在では紙に次いで長く使われた媒体として、一定の信頼性を確保している。

 このように、媒体の歴史から考えるならば、紙とフィルムこそが二大記録媒体であり、情報保存量もこの二者が他を圧倒するはずである。ところが、1970年代から80年代にかけて、この二大記録媒体の優位性を脅かしかねない問題が顕在化した。酸性紙問題とビネガーシンドロームである。どちらも加水分解により媒体が劣化、崩壊するものであり、両者は保存機関だけでなく、社会的に大きな衝撃を与えた。

 酸性紙問題とその調査については、既に小島浩之・矢野正隆「日本の図書館等における蔵書の状態調査 : その歴史と方法論」『現代の図書館』 46(2), 2008年により、その研究史や調査史がまとめられ、状態調査の方法論について検討がなされている。媒体の劣化については、実験室での化学的調査と、保存機関での状態調査により検証が深められてきた。なかでも状態調査は、現在に至るまで世界各地で実施されていることから、世界的視野でデータ解析が可能となっている。一方で、調査方法論が未確立のため個々の調査やデータの正確性には問題が多いこと、記録材料や利用方法、利用環境の検討も視野に入れるべきことなど次のステージに向けた課題も明らかとなった。

 前者については、先述の小島・矢野論文が分析を加え、後者については岡田将彦・安形麻理・小島浩之・谷藤有美子・上田修一「無線綴じ図書の損傷原因 : 慶應義塾図書館の蔵書を対象とした状態調査」『Library and
information science』64, 2010年
といった綴じに焦点を当てた研究が、佐野千絵「マイクロフィルムの保存と収蔵庫内の空気清浄について」『マイクロフィルム状態調査報告書』2009年などのフィルム保管環境に関する研究がある。

 ビネガーシンドロームについては、化学分析の結果、空気中の水分によりセルロースの加水分解が進行し酢酸が発生、その酢酸が他のフィルムの劣化を誘発するという悪循環が起きていることが突き止められた。しかし保存機関の現場では、紙資料とは異なり、状態調査の実施件数が少なく、得られる情報も乏しい。このため国内のフィルム劣化の概要を把握できる状況には無い。

 つまり、フィルムの劣化については、紙の劣化のような化学分析と状態調査の相互補完による総合研究が未確立なのである。小島浩之、矢野正隆、内田麻里奈らは、東京大学経済学部においてマイクロフィルムの状態調査を行い、『マイクロフィルム状態調査報告書』2009年として、その結果を公表するとともに調査方法論を提示したが、その後の他機関での調査には、一部を除きあまり生かされていない。このためデータの比較検討すら未だ困難である。

 フィルムが紙に次ぐ歴史を有する媒体である以上、少なくとも紙資料と同水準まで、実際の保管状況に基づいた症例データの蓄積がなされるべきである。さらに最近では、小島浩之・矢野正隆・内田麻里奈「PETベースフィルムにおける異常現象についての一考察」『マイクロフィルム状態調査報告書』2009年によれば、PET ベースフィルムにもビネガーシンドロームとは別の異常現象が報告されており、この点の検証も急務である。

 またマイクロフィルムには、東日本大震災のような災害で滅失した資料の画像が残されていることも少なくない。この点、マイクロフィルムの文化資産価値を再認識する必要がある。

 かかる現状に鑑み、日本の保存機関におけるマイクロフィルムの保存に関する総合的な情報を集積し、状態調査の方法論の確立やフィルム保管のための環境条件の設定をはかり、文化資産としての記録情報を後世に伝えるための一助とすべく、本研究チームを組織するものである。