● カネ二小松史料 解題●
本文書は東京大学経済学部が所蔵する、長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)の製糸業者カネ二小松(代表小松小一郎) の史料である(総数3628点)。受け入れ当初の文書名は「小松組資料」であったが、隣村平野村の製糸業者小松組 (カネ万)との混同を避けるために、上記の文書名に改題した。この解題では本文書の内容理解の一助として、文書の受け入れと整理の経緯、カネ二小松の概要 及び項目毎の文書の内容について簡単に述べることとする。
本文書は古書店から1985年頃購入され、東條由紀彦(当時東京大学社会科学研究所助手、現明治大学教授)・花井俊介(当時東京大学経済学研究科大学院
生、現早稲田大学助教授)の両氏により整理された(未完)。受け入れ時の詳細については、当時の文書を欠くため不詳である。花井氏のお話によると、当初は
茶箱に雑然と入っていたので、製糸関係史料で一般的に行われていた分類項目に準拠して粗分類を行ったということである。分類項目は東條氏により下記のよう
に設定された。
B労務・工務:BⅠ工務、BⅡ労務一般、BⅢ賃銀・賞罰、BⅣ募集・引揚、B全(全般にまたがるもの)、
B他(その他)、原料、経営、販売、雑
筆者が前任者の小川幸代氏から本文書を引き継いだ時には、金属製の長持5箱に収納されていた。各長持には、史料が年代・表題・分類項目を記した封筒に詰
められて存在しており、一部の史料は
ゴムバンドで一括されていた。また箱5の一部の史料は1点別の整理が終了していた。
そこで、各長持を箱1〜箱5とし、原則として左から順に文書を取り出し番号を付与し、中性紙封筒に入れ替えながら目録を作成していった(収納状態の現状
は、箱3のスケッチを除き記録していない。購入時の原状が既に崩されており不必要だと判断したからである)。封筒の中に複数の文書が入っている際には枝番
を付し、それぞれ別の封筒に入れた。
またゴムバンドで一括されていた封筒については枝番を付さず、「 〜 ゴムバンド一括」の如く備考欄に記した。
次に本文書を作成した製糸業者カネ二小松( )及びサス二組( )と、その代表者たる小松小一郎について、現在
分かる範囲で述べておきたい。
小松小一郎の生年月日は不明であるが、史料で確認できる初出は、明治19年(1886)の
天竜川筋水車調書であり、字車田に水田用の水車を所有していた(『川岸村誌 続』以下『川岸』と略す、333頁)。
明治23年(1890)、小一郎は三沢区字殿畑に20釜で器械製糸を開始し、平野村・川岸村の業者15名と共に、共同揚返場の信英社を設立した『川岸』
237頁)。創業当時の小松小一郎については、明治24年10月に群馬及び北信方面から生繭190個を仕入れて和田峠を通過したこと(『川岸』160
頁)、翌25年4月に長さ1丈・丸ミ2尺5寸の製糸用の釜を、村内の木村鉄工所に金80円で発注したことが知られる(『川岸』288頁)。また同年に工場
を天竜川畔に移転したようであり、明治27年の製糸業水車図には、片倉兼太郎と片倉久兵衛の間に、「カネ二小松小一郎」の記載がある(諏訪教育会『諏訪の
近現代史』203頁)。明治26年の製糸工場表によると、釜数38、水力を使用して1138斤の生糸を生産し、100斤当たりの製造費は55円であった
(『長野県史』近代史料編第5巻(3)蚕糸業、以下『県史』と略す)。
明治33年に創立された諏訪生糸同業組合において、小松小一郎は明治34年度から大正8年度(1919)まで評議員を勤め、大正7年から13年にかけて
は第一区の代議員になっている(岡谷蚕糸博物館所蔵製糸同盟関係書類、以下本史料を典拠とするものは注記を略す)。また明治33年に発足、36年から実質
的な活動を開始し、工男女の登録制度によりその移動を制限した諏訪製糸同盟においても、小松小一郎は設立当初から釜数46で加盟し、明治36年と大正元年
度から昭和2年度(1927)にかけて同盟の委員を勤めた。カネニ小松が当事者となった女工権利関係事件は、明治37年から大正12年まで24件を数える
(岩本由輝編『諏訪製糸同盟「交渉録」「取調筆記」』上中下巻、1969〜70年)。川岸村内でも、明治37〜40年、明治43年〜大正14年にかけて村
会議員を勤めている(『川岸』384〜88頁)。
明治39年に小松小一郎は、茨城県筑波郡小田村に釜数144で筑波社を創立した。同44年の調査によると、釜数は同じく144、繰糸工女数144・揚返
工女数10、経営者は一族の小松吉五郎であったが(『諏訪の近現代史』192頁)、大正元年頃に撤退したようである。また明治41年には、腸チフス感染を
契機とした工女の争議が起こっている(同405頁)。なお明治36年(1903)から昭和7年(1932)までの釜数の変遷については、付表を参照された
い。釜数は最大で394であり、製糸業者としては中規模であった。
大正2年(1913)小松小一郎は信英社から分離独立し、翌3年にカネ二組を解消、ヤマヨ( )林文蔵と共同してサス二組を創立した(『川岸』
237〜38頁)。林文蔵は小松小一郎と同じく明治23年に開業し、信英社に所属していた。大正3年の製糸工場表によると、カネニ小松の釜数198、工女
数235人、生糸産額1万9220斤に対し、ヤマヨ林は釜数116、工女数124人、生糸産額7300斤と、カネ二小松と比してやや小規模であった(『県
史』)。ヤマヨ林の釜数は大正8年には250に達したが(『岡谷市史』中巻668頁)、同年12月21日製糸同盟に廃業届を出し廃業した(理由不詳)。大
正12年の諏訪製糸同盟加盟工場別職工募集地域概況調(『県史』491号)には「カネ二小松」名で記載があることから、遅くともこの時期までにサス二組か
らカネ二小松に復帰したと考えられる。なお同史料によると、工女418名の出身地は諏訪20名・東筑摩郡30名・松本市5名・南安曇郡5名・更級郡51
名・埴科郡24名・上水内郡40名・下水内郡30名・下高井郡35名・南佐久郡58名・中巨摩郡3名・中頸城郡8名・古志郡24名・中魚沼郡24名・北蒲
原郡46名・大野郡5名・其他10名と、
長野県中信・北信地方、山梨県北部、新潟県南部、岐阜県飛騨地方に及んでいる。
その後小松小一郎は、ヤマ大(大正9年〜)・マルカ(大正6年〜、昭和4年よりヤマ十)・カネ十・カネ幸(昭和7年〜)の各製糸所を、小一郎自身及びそ
の子の小松芳男・同幸一、小松吉五郎子の小松達雄の名義で経営しており、最盛期にはカネ二本部238釜、橋原ヤマ大45釜、平野村下浜カネ幸120釜、新
倉カネ十60釜、三沢マルカ20釜の合計483釜を運転していた(『川岸』238頁)。
昭和17年(1942)には、戦時下の企業整備により近隣の製糸業者サス十横内・マルサ増沢などと合併して有限会社カネ二組を設立し、二代小松小一郎が
代表社長となった。翌18年には日本蚕糸統制会社に参加したが、同19年脱退して独自の経営を行い、6月には軍需工場の東芝川岸工場に合併した(『川岸』
238頁)。終戦後の昭和22年6月、釜数50の金二組製糸所として復活した。
第三に目録編成の方針について述べる。基本的な考え方としたのは以下の3点である。
1.組織別分類
記録史料の構造的認識という文書館学(記録史料学)の理解に立ち、サブフォンド(組織体の内部組織)として、信英社・筑波社、ヤマヨ林、小松家、サス二
組の4つの大項目を立てた。またサス二組の中でも、本部と支部(久喜・亀山)及び各出張所については、それぞれの出所毎に分類した。しかしながら、現存史
料から判明する、再繰部・倉庫部・明細課・会計課・仕入計算部(課)・庶務課・各工場というサス二組内の下部組織別分類については、各文書と組織間の対応
関係がほとんど分からないため行いえなかった。
2.過去の整理の尊重
東條・花井氏が途中まで行った整理及び分類項目を尊重した。元の封筒のほとんどに、原料、経営、販売、工務・労務、雑という両氏が設定した大項目が鉛筆
で記入されていたので(目録本文の表題欄及び備考欄の「封筒上書」の記載を参照されたい)、サス二組の中項目としてそれを採用した。また各項目内でも両氏
が分けたまとまりを尊重し、まとまり間及びまとまり内部では文書を編年で並べたが、まとまり自体は大項目及び雑ものを除き崩さなかった。
3.現状の尊重
本文書の少なからぬ部分が、包紙や括り紐で一括されていた。そこで分類項目を立てる際に、サス二小松の機能に留意した項目と共に、一括文書を独立の項目
として立てた。
結果として分類違いのものや、同種の文書が異なる項目にまたがって存在するなどの事態が間々みられ、きわめて利用しにくい目録になったことは否めない。
この点については、当文書室での現状目録データベース及び、インターネット上での各種検索により、より使いやすくする方策を実現したい。
最後に本文書の内容について簡単にふれておく。全体的な特徴として、そのほとんどが大正2年から8年までの文書であること、とりわけ大正8年のものが多いことがあげられる。また、領収証や代金請求書、郵便物受領 証、鉄道院小荷物切符といった軽易で雑多な文書が大量に存在する。各項目に分類した文書の内容は以下の通りである。なお東條由紀彦『製糸同盟の登録女工制 度』(東京大学出版会刊、1990年)に本文書の一部が利用されている。
1.信英社・筑波社
信英社のものは、明治45年の「為替及売揚金通」2冊、筑波社のものは同年の「薬価附込簿」1冊である。両社については上記の解題を参照されたい。組織
としては全く別個のものであるが、点数が少ないので同一項目にまとめた。
2.ヤマヨ林
ヤマヨ林については前記の解題を参照されたい。内容は給料精算調と領収書類が中心である。前者は工女番号・氏名・就業人員・試験人員・杯数・糸量・賞罰
差引点・一日点数・一日給料・給料計の各項目を記した後に、末尾に惣人員・試験人員・杯数・糸量・一日繰目・一杯糸目・賞点計・罰点計・差引罰点・一日点
数を記したものである(伝習工女共)。
3.小松家
小松武子宛の書簡など、小松小一郎家の私的な側面にかかわるものである。領収書類でも、その内容及び宛名から小松個人と判断されるようなものはここに収
録した。小松小一郎が川岸村三沢区の惣代として活動したもの、及び昭和期の文書を含む。
4.サス二組
4.1 原料
4.1.1 見本繭
繭の購入に際し、サンプルとして品質を検査するために使用された見本繭関係の文書であり、サス二組見本繭報告/報告書がその大部分を占める。前者の記載
項目は、月日・産地・見本回数・繭印・正量・ホイロ生の別・一貫代金・記事・口挽結果ノ通知ヲ受ク可キ地であり、欄外に「サス二組 出張所」と記す。後者
は産地、月日、見本回数、正量、繭印、本荷回数、一貫匁代金、備考(立口・糸量・掛目各見込、口挽結果ノ通知ヲ受ク可キ地)を記し、欄外に「大正 年 月
午 時発送 サス二組 出張所」と記す。なお口挽見本帳(3-1)は後者を切り離す以前のものである。
また、出荷・着荷年月日時分、産地、本数、回数、元扱・着扱運送店名、出張員、扱人印、生貫・改貫及び代金、石数・改枡及び代金、一本代金、原価、運
賃・支払、籠・袋、摘要を記したサス二組出荷案内と、見本口挽明細帳(竪帳。表紙見返しに「口挽試験立口報告等級表」貼付。記載項目は、月日、産地、回
数、種類、出荷者名、糸目・代金、此掛・着荷掛、一杯出量、一本平均、立口、平均引上時間、番号・デニール・糸目・光沢・引上時間・立口・口挽報告番号、
買入貫数、摘要であり、各口挽報告をまとめたもの)もここに収録した。なお一括文書(1-8、3-2)を含む。
4.1.2 繭売約証
繭の売買にあたり、繭貫匁、一貫目あたりの代金、手付金、引渡日時を記し、売渡人からサス二組へ宛てたものである。繭予約帳も同形式である。
4.1.3 看貫帳
横半帳であり、「信州カネ二組繭買入所用紙」を使用する。ミシン線で控え(売主宛領収書)と切り離せる。実際の記載項目は、番号、売主、代金、年月日、
繭貫目、看貫計算(上目・風差引正味)、単価、備考。検印を捺す。「看貫(カンカン)」は、品物の量目を計って斤量を定めるという意味である。繭買入切符
及び繭出荷帳も同形式である。
4.1.4 繭買入証
番号、年月日、繭産地、重量、代金、合計金額などを記す。
4.1.5 繭買入台帳・繭買入日誌帳
繭買入台帳は竪帳であり、サス二組製糸所用紙を使用する。冒頭に月日・収入・支出・摘要・氏名を記した用紙数枚(入費精算)の後に、「 月 日買入調」
がある。記載項目は、案内発送月日、取扱人印、前日残高(貫升・代金)、当日買入高(貫升・代金)、一貫目又一斗代金、計升量、代金、総合計(貫升・代
金)、出荷月日(回数・代金・升量・一本代・一斗代・元扱店・着扱店)、後回廻(生貫升量・代金)、枡廻リ一貫目ニ付升量、摘要である。なお繭買入帳は書
式が若干異なり、日計及び通計方式で記載する。
また繭買入日誌帳(3-88)は、サス二組事務所より各出張員宛の竪帳であり、大正2年のものと推定される。記載項目は、月日・天候・滞在地及び宿名・
状況記事・本日買入数量・単価・出張員人数及姓である。
4.1.6 繭仕入帳/繭仕入計算
表裏1枚となっているので、数値の記載のある方を表題とした。欄外に出張所名と作成者を記す。繭仕入帳の記載項目は、発着月日、取扱人印、回数、一本入
量、本数、買入貫数/改貫数、買入石数/改石数、貫代、斗代、一本代金、代金、合計(代金・貫数・石数)、掛、備考である。繭仕入計算の記載項目は、年月
日、摘要、取扱人印、借方、貸方、差引残高(送金は別途同項目を記載)、備考、金銭出納簿整理者、出張員姓名となっている。
4.1.7 繭通帳
取引先の各繭問屋とサス二組との間のものであり、年月日、摘要、収入、支出、差引残高などを記す。
4.1.8 繭送券
原料繭の送り状及び受取証類である。繭の輸送には、明治38年設立され、諏訪最大の製糸業者たる片倉兼太郎を社長とする天竜川船渠運送株式会社や、喜和
吉合名会社岡谷支店が関与することが多かった。
4.1.9 為替
電信為替取組通知書や為替手形、為替金受領証書など為替関係のものである。
4.1.10 通信
通信録及び電報関係のものを収録した。通信録は、サス二組事務所から出した手紙の控え(カーボン)である。その記載は、女工募集・争奪、見本繭・繭仕
入、送金通知、口挽報告、各工場・弁護士への指示、暗号帳訂正など雑多であり、横浜の生糸商大谷合名会社との間のものもある(生糸出荷及び荷為替受払願の
記事が中心)。
電報は、打電・着電控類からなる。記載項目は、発信年月日時分・受信時分・発局・指定・発信人・電報本文・訳文などであり、繭買入関係・工女募集関係が
中心である。
4.1.11 原料一般
その他原料にかかわるものを収録した。判取帳や繭渡帳、乾燥繭仕分帳、繭仕入金領収証、入庫繭調帳などからなる。
4.1.12 久喜支部
4.1.13 亀山支部
4.1.14 各出張所
サス二組埼玉県久喜支部(出張所)及び三重県亀山支部(出張所)、福島県三春町出張所、茨城県水海道出張所、千葉県旭町出張所、信州竹房出張所、三河豊
橋出張所・同新城町出張所、美濃国大井出張所、伯耆和田村出張所、同渡繭市場出張所関係の文書である。各支部や出張所には出張員が駐在し、原料繭の買い付
けに当たっていた。各支部・出張所毎に袋や括り紐で一括されていたので、現状を尊重しまとまり毎に編年で配列した。
4.1.15 原料一括文書
原料に分類されていた文書のうち、包紙や括り紐で一括されていた文書である。まとまり毎に編年で配列した。見本繭についての報告書や書簡が多数を占め
る。
4.2 販売
4.2.1 市価報告
生糸の価格と商況について、午前・午後の2回謄写版で記したものであり、年間の価格の推移から大正8年のものと推定される(『平野村誌』下巻299頁
「第十三項 業績の大要」を参照した)。
4.2.2 販売一般
売上仕切書/仕切書/生糸斤量調書/帝国日本生糸検査所正量検定証(EMPIRE DU YAPON CONDTION DES SOIES
CONTIONNEMENT)の4点1綴が大部分を占める。生糸斤量調書は蔵入包紙上目斤量から引戻括数・ガラ糸抜糸本数・包紙・帯紙商標を差し引いて売
渡斤量を出し、さらに風袋及び水分を引いて正量を算出、売上仕切書はその代金を記し、手数料・荷掛料を差し引いた売上仕切金を算出したもの、仕切書は売上
仕切金から為替金及び利息を差し引いた残金を算出したものである。この3点は横浜市元浜町2丁目の大谷合名会社が作成しサス二組に宛てられている。帝国日
本生糸検査所正量検定証は、年月日、請求者、器械生糸一俵の総全量・風袋量・総原量、一俵中ヨリ抜取リタル生糸、同上原量ヨリ水分ヲ去リタル無水量、一俵
ニ対スル無水量、公定水分量(一割一分)、正量、減量、総原量、総原量ニ対スル減量歩合を記したものであり、フランス語を併記する(EMPIRE....
はフランス語のみのもの)。他に仕判場作成の仕判場日計帳、生糸荷組帳などがある。
4.3 経営
4.3.1 銀行
小松小一郎及びサス二組から各地の出張員への電信為替送金の受取証が大部分を占める。取引銀行は第十九銀行諏訪支店、信濃銀行平野支店であった。
4.3.2 石炭
炭種・頓数・貨車番号・着駅・扱店・荷受先・運賃などを記した送炭案内書、石炭代金請求書及び計算書が中心である。
4.3.3 郵便
サス二組から岡谷郵便局を経由して各方面へ発送した郵便物受領証(書留通常・書留小包ほか)を収録した。
4.3.4 諏訪倉庫
諏訪倉庫株式会社は、明治42年(1909)第十九銀行頭取黒沢鷹次郎により設立され、繭の乾燥・保管を主な業務とする一方、原料繭を担保として製糸業
者に金融貸付を行った。ここでは諏訪倉庫株式会社からサス二組に宛てて出された繭の送荷案内及び入荷通知書及び、入庫料・保管料の計算書・領収書を収録し
た。
4.3.5 収支票
赤色の入金票と青色の支払票からなり、月別に綴られている。記載項目は月日・認印・金額・姓名・摘要・科目であり、「日記済」「補記済」「出納記済」
「支払済」などのスタンプが捺されている。科目の内訳は、仮払金・修繕費・立替金・買取引先・原繭・雑食・雑費・家事費・給料・ヤマヨ金銀・借入金・旅
費・賃挽工場・利息(利子)・薬品・貸金・工男女雇入元資・特別金・未払金・諸税金・為替金・白米・屑物・貸家料・仮受入金・繭買入元資・売取引先・運
賃・送荷諸掛・仮勘定・未収金・建築費・生糸・石炭・就業奨励金・年期工男諸費・繭仕入原資・諸損・雑品売上金・器械器具・保険料・貯蔵品・カネ二工場・
農作物・未経過金・預ヶ金・伝習工男報酬積立金・ヤマヨ立替金・公債証書株券・動力費・倉敷料・材木・建物・ヤマヨ勘定金・特待員保証金・預り金・農事
場・伝習工男諸費の各項目である。振替票と共にサス二組経営分析の基本史料であり、大正6年及び8年分が現存する。
4.3.6 振替票
欄外は姓名・番号・年月日を、欄内は認印・主任印・補助・日記、借方金額・摘要・差引支払・合計、貸方金額・摘要・差引収入・合計を記す。「日記済」・
「補記済」の印があり、月別に綴られている。大正6年から8年のものが現存し、大口の金の出入やサス二組出入の諸業者がわかる。
4.3.7 サス二組製糸場日計表
大正8年1月20日から12月31日まで、日別に245点が現存する。欄外に年月日及び作成者(上條伯次及び増澤が散見)を記す。記載項目(「科目」)
は、印刷済のものが、資本金、カネ二工場、ヤマヨ工場、地所建物、機械器具、公債証書諸株券、金銀、貸金、預ヶ金、預リ金、借入金、保証積立金、買取引
先、売取引先、貯蔵品、工業場、揚返工場、生糸、為替金、受取手形、支払手形、仮受入金、仮払金、未収金、未経過金、立替金、雑品、材木、原繭、屑物、薬
品、追次(中間集計のことか)、繰越、農作物、仮勘定、原繭買入元資、工男女雇入元資、建築費、ヤマヨ金銀、同立替金、同物品勘定、石炭、工男女就業奨励
金、伝習工男報酬積立金、雑費、家事費、雑食、白米、諸税金、運賃、旅費、利息、給料、諸損、修繕費、送荷諸掛、保険料、倉敷料、動力費、雑品売上金、伝
習工男諸費、合計の各項目であり、それぞれ借方と貸方に分かれる。ほかに「特別金」「飲用水費」「特待員保証金」などの手書きの項目が加わる。日別累計の
損益対照表の機能を果たし、収支票・振替票と並ぶサス二組経営分析の基本史料である。
4.3.8 経営一般
経営及び雑の大項目に分類されていた文書である。独立した3点の文書(1-14・15・18)を除いた封筒入り文書(1-1、1-6、1-10、1-
12、1-19、1-24、1-31、2-22、4-15)は、領収書及び代金請求書類が大半を占めており、各封筒毎の内容的なまとまりを欠くため、便宜
的に一つにまとめて編年で配列した。
4.4 工務・労務
4.4.1 工務
4.4.4.1 口挽報告
口挽報告は、サス二組の出張員が各地で購入した見本繭から試験的に生糸を挽いた結果を記した文書である。記載項目は、月日、産地回数、番号、姓名、一杯
出量、立口、引揚時間、返札(印・デニール・糸目・光沢・一本平均)、屑量、倉庫部(受渡日時分・取扱人印)、工場(受渡日時分・取扱人印)、揚返場(受
渡日時分・取扱人印)、糸量課(受渡日時分・取扱人印)、台帳扱者印である。これに対し口挽報告書は月日毎に作成され、産地・回数・種類・買入貫数・掛
目・立口の各項目及び通信欄からなり、サス二組本部から各出張所に口挽結果を伝達したものである。
4.4.4.2 工務一般
サス二組の製糸場運営に関する文書を収録した。主要文書の内容を以下に示す。
製糸帳は半月・各工場毎に作成され、女工別に繰糸の成績を記載したものである。揚返工女成績帳は再繰部のものであり、半月毎に作成された。工女別に毎日
の揚丁数・屑糸目を記し、試験人員・雑務人員・揚丁数・屑糸目・一日丁数、一丁屑目の増減、賞罰点をまとめている。
罰金帳は各工場毎に作成され、月日別に認印/種目、含水歩合、賞金、罰金を記し、賞金計・罰金計・賞罰差引・通計を算出したものである。また罰金元帳
は、月日毎に工女番号・罰金額・罰金理由(「デニール罰印」などの印)、カネ二・ヤマヨ毎の合計額を記している。またこの他に、各工場毎に人員・総出枠・
一人平均・等級を記した出枠表や日勤簿などがある。
大正7年度「為疾病休業患者名簿 カネ二製糸帳場」(5-13-1)は竪帳であり、その記載項目は、所属及び工女番号・取扱者印・患者姓名・年齢・入室
月日・退室月日・医師・病名・経過である。病名はスペイン風邪・カタル・頭痛・腹痛・眼病・感冒・脚気・リウマチなどが記され、大正7年11月3日から翌
年12月24日までの約530人のデータを記す。
4.4.2 労務
4.4.2.1 給料
工女(工男)の給料に関する文書である。工賃前借之証、各年の給料精算残金領収書、内貸金之控が中心である。工女及び工男の契約証も便宜上ここに収録し
た。
大正8年と推定される「◎サス二組賞罰規則書」(5-B-3-1、ガリ版4枚)は、工女の成績評価の基準を、等級賃銀制に基づき詳細に定めている。「当
組ハ壱ヶ月ヲ前半期後半期ノ弐期ニ分チ壱期毎ニ左ノ賞罰法ニヨリ試験ヲナシ其ノ成蹟ニヨリ等級ヲ分チ中心ヲ定メ壱点壱銭トナシテ中心日給ニ加減ナシ日給額
ヲ定メ毎月壱回通貨ヲ以ツテ支払モノトス」の前書に続き、「製糸試験法」として繰目・糸目・光沢・デニール・類節・切断・裏糸・二子糸・片枠取リ・月皆勤
賞の10項目が記され、注目される。
4.4.2.2 貯蓄預金通帳
全て大正8年度のものである。工女番号・氏名、附込期限(大正8.9.1〜同12.31)、取扱者印鑑、本人印鑑及び各項目(月日・摘要・受入高・取扱
者印・払出高・受領者印・差引残高)を記す。裏表紙には6ヶ条の「貯蓄預金管理規定」がある。
4.4.2.3 賞与金之控
貯蓄預金通帳と同様、全て大正8年度のものである。表紙に工女番号及び氏名を記し、各月前期・後期ごとにデニール賞・繰目賞・増糸賞・扱人・計・合計の
項目がある。月日・種類・取扱人印・主任印・賞与金額・払渡金高・差引残高を記した「皆勤賞之控」がこれに付属する。
4.4.2.4 募集
工女の募集に関する文書であり、工女募集日報(「雇入日報」「募集日報」「運動日報」)及び引揚日報が多い。記載事項は発信日時・天候・前夜宿所・出発
時間・昼食場所・帰宿時間・宿所・明日行先、契約工女氏名・新旧・昨年工場名、入金計・出金計・差引残・後日繰越金、出金明細、旧新工女・揚返シ雑務確約
通計・伝習生・予約数、使用品通計である(引揚日報も同様)。現存するのは募集員の手元に残された控えである。引揚日報仕訳は、日報の各費用の記載を集計
したものである。また大正8年度「応募者名簿 小千谷方面 カネ二小松製糸所」(5-15-2)は契約年月日/契約期間、前貸金額、応募者原籍地/応募者
現住地、戸主/法定代理人、応募者氏名、続柄/生年月日、募集主又ハ従事者ノ印の各項目を記す。
この他に大正5年度「異動明細簿」(5-16)は、工女451名の住所・戸主名・氏名・年齢・異動摘要(就業日・帰宅日・入退場日など、逃走日は赤字で
記す)を記す。工女の異動の実態を知りうる貴重な史料である。工男については、明治43年と推定される「工男異動明細簿」(5-4-14)が41名分の
データを記す。
4.4.2.5 労務一般
1〜4以外の労務にかかわる文書を収録した。工女投薬通帳、湯タンポ貸出控帳、製糸同盟作成の夏挽閉業団体乗車精算書などがある。
4.5 一括文書
当初から包紙や括り紐で一括されていた文書であり(1-6-51、1-16、1-21、1-22、1-31-20、4-5、5-14)、口挽報告、サス
二組見本繭報告、入荷通知書/送荷案内、請求書・領収書類、郵便物受領証、送り状、為替金受領証書などが多い。各まとまり毎に編年で配列した。
4.6 その他
帳簿の反古紙を転用した袋などを収録した。
目録の記載は一般の史料目録の記載に準じ、地名・人名を除き原則として常用漢字を使用した。形態について、原則 として冊子体史料は竪・横・横半、書付体史料は状を使用したが、前記の表記になじまないものについては、葉書・ノートなどのように適宜記したものもある。 また屋号及び商標の記号については、 :カネ二、 :サス二、 :ヤマヨのように慣例的な呼称に直して表記した(慣例的な呼称表記については、平野明夫・ 佐藤文智「銚子市高田町宮城家文書家じるし・商標一覧」『千葉県の文書館』3、1998年を参照した)。
なお本史料の目録作成にあたっては、花井俊介氏、石井寛治氏(東京経済大学教授)、武田安弘氏(信濃史学会委員 長)、岡谷蚕糸博物館の方々に大変お世話になった。末筆ながら記して謝意を表したい。
付表 小松小一郎の釜数変遷
年 代 |
総数 |
カネ二 |
筑波社 |
ヤマ大 |
ヤマ三 |
マルカ |
カネ十 |
明治36 |
46 |
|
|
|
|
|
|
37 |
49 |
|
|
|
|
|
|
38 |
114 |
|
|
|
|
|
|
39 |
277 |
133 |
144 |
|
|
|
|
40 |
285 |
141 |
144 |
|
|
|
|
41 |
281 |
137 |
144 |
|
|
|
|
42 |
278 |
137 |
141 |
|
|
|
|
43 |
278 |
137 |
141 |
|
|
|
|
44 |
327 |
183 |
144 |
|
|
|
|
大正元 |
182 |
|
|
|
|
|
|
2 |
190 |
|
|
|
|
|
|
3 |
200 |
|
|
|
|
|
|
4 |
196 |
|
|
|
|
|
|
5 |
192 |
|
|
|
|
|
|
6 |
192 |
|
|
|
|
|
|
7 |
224 |
|
|
|
|
|
|
8 |
224 |
|
|
|
|
|
|
9 |
294 |
|
|
|
|
|
|
10 |
280 |
|
|
|
|
|
|
11 |
280 |
|
|
|
|
|
|
12 |
280 |
|
|
|
|
|
|
13 |
279 |
|
|
|
|
|
|
14 |
279 |
|
|
|
|
|
|
15 |
310 |
|
|
|
|
|
|
昭和2 |
320 |
237 |
|
42 |
41 |
|
|
3 |
355 |
238 |
|
45 |
41 |
31 |
|
4 |
388 |
238 |
|
45 |
|
31 |
74 |
5 |
394 |
238 |
|
45 |
|
ヤマ十37 |
74 |
7 |
394 |
238 |
|
45 |
|
同 37 |
74 |
ヤマ三は借釜(昭和4/3/4返却)、マルカは小松達雄名義、カネ十は借
釜
明治36〜38年及び大正元〜15年の内訳は未詳
各年の釜数簿(岡谷蚕糸博物館所蔵製糸同盟書類)より作成