「戦時海運関係資料について」 

 この戦時海運関係資料のコレクションには、1937年頃に始まる海運業界の「自治的」統制期から、敗戦までの海運統制関係資料が収録されている。資料の作成者は海運自治連盟、海運自治統制委員会、海運中央統制輸送組合などの業界団体、逓信省管船局、海務院、海運総局、企画院などの政府諸機関、船舶運営会、産業設備営団などの統制機関、これに加えて各種の調査機関や民間企業であり、海運統制に関わった多くの機関の資料が集められている。

 資料の紹介に先だって、それぞれの機関の役割や収録資料の性格を知るため、戦時海運統制の展開を概観しておくのが適切であろう。海運統制は、1936年頃からの欧州政情不安による海運・傭船料の急騰、船舶需要の急増への対策に始まる。海運業界では、船主協会が中心となって37年5月海運政策委員会を設置し、第1次大戦ブーム後に起こった過剰船舶問題への反省から、運賃・傭船料の安定化対策を検討し始めた。そして7月海運大手7社は海運自治連盟を組織し、自治的価格統制を開始した。

 38年からは重要物資の供給・部門別配当を計画化した物資動員計画がはじまり、海運業界でも海運自治連盟や、その下に3月20日設置された市場対策協議会や更にその後身の海運自治統制委員会(同年4月25日改称)を通じて運賃規制が行われた。次いで物動計画、生産力拡充計画等の計画物資の輸送を確保するため、物資動員行政と一体化した輸送の計画化が必要となった。そうした海上輸送力問題への対応は、欧州大戦勃発の直前の39年9月初めに画期を迎えた。まず9月1日海運自治連盟、海運自治統制委員会は「自治」の名を外して海運連盟、海運統制委員会と改称して、不急不要物資の引受を抑制し、引受のない物資で政府の指示のある物資については、海運組合法(39年4月)に基づいて11月設立された海運統制輸送組合(35社)で共同引受を開始した。また配船計画の大綱を検討する官民協議機関として、9月1日逓信省に海運統制協議会が設置された。こうした動きに呼応して小型木造船による特定地域の沿岸輸送を取り扱っていた機帆船業界でも、3千余りの業者が40年5月全国34地区の機帆船海運組合を組織した。次いで同年9月には中央団体として全国機帆船海運組 合連合会を設立し、重要物資輸送の計画化に協力することになった。

 配船自体の計画化は、翌40年9月27日閣議決定の海運統制国策要綱によって、運航業者の共同引受方式を徹底させる形で進められた。政府による輸送計画の立案に基づいて、①運賃・傭船料の公定、②自由取引の禁止、③全運航業者を組織した輸送組合による共同引受、④運賃・傭船料の共同計算が実施された。配船の計画化は、重要物資の所管省が品目別・期別・積揚地・荷主別輸送要求量を企画院・逓信省に提示し、逓信省の海運統制協議会が年別・期別・月別輸送計画を立案し、関係機関、海運組合に指令するという手順がとられた*1。このため海運業界は同年11月1日海運統制輸送組合を改組して、運航会社95社を13ブロックとし、全国機帆船海運組合連合会も加えた海運中央統制輸送組合を結成した。これによって、石炭、鉄鉱石、塩、木材、穀類、鉄鋼、セメント、油、肥料など重要15品目を対象に輸送の計画化をはかった。同年末には共同引受業務に着手し、41年3月からは本格的に事業を開始した。

 しかしこの方式に対して海軍は、共同引受に際して依然「希望配船」の裁量余地があり計画化が不徹底であるとし、船舶・船員の帰属を船主から切り離すことを要求していた。これを受けて41年8月19日戦時海運管理要綱が閣議決定となり、①強制的企業合同は回避、②全船舶の徴傭、③特別法人による一元的運用、④管理船舶の損失補償などの方針が打ち出されたのである。東條内閣発足後の12月10日同要綱は総動員審議会で正式決定となったが、これによって海運業者は戦時固有のリスクからは解放されることになる一方、形式的には貸船業者となり経営の自主性を失うことになった。また海運行政の所管も問題となり、作戦行動との一体化と海事行政の分離独立を要求する海軍と、軍の介入を排除しようとした逓信省が対立し、これに海軍権限の強化を避けたい陸軍が逓信省所管を支持するという対立構図から難航した*2。これは結局、海軍要求にそって逓信省外局として海務院が12月19日設立されて決着した。その要職は海軍軍人が占めることになり、輸送計画・船舶増産に関わる行政は海軍主導に転換した。こうして42年3月の戦時海運管理令に基づいて、4月1日船舶運営会が発足 した。船舶運営会は100総噸以上の汽船及び150総噸以上の機帆船(43年10月以降50総噸以上機帆船)と船員を徴傭して一元的に統括し、海運会社は事務処理手数料を受け取る運航実務者に再編された。この運営会による配船管理方式が太平洋戦争期を通じて実施された。

 その後43年10月に軍需工業動員の一元化を目指す軍需省を軸に、国家総動員行政は再編され、鉄道省・逓信省のほとんどを統合して陸海輸送行政を統括する運輸通信省が発足すると、海務院は同省の海運総局に再編されている。

 「戦時海運関係資料」には、上記の統制に関わった多くの機関が統制業務の中で作成した資料や議会等への説明用にまとめられた報告類が収められている。それらの政策文書や計画・実績に関する数量データは当時統制に関わった極一部の者だけが知りうる極秘事項ばかりである。後述のように公式の保存文書として系統的に分類保存されたものではないので、各部局の業務内容を丹念に時系列的に追うことは難しいが、特定の重要課題ごとに第一級の歴史資料が収録されている。直接的に海運統制に関係するもの以外にも、第4回行政査察(43年12月実施、九州地区炭鉱の生産・労務・輸送問題)、44年3月の臨時鉄鋼増産協議会の資料など貴重なものも多い。海軍が所管していた船舶造修計画資料は、検査報告を除くと残念ながらほとんど含まれていないが、第5回行政査察(43年12月実施、木造船増産問題)など、43年以降本格化した木造船増産政策に関する資料群は、まとまった研究・資料が公刊されていないだけに極めて重要な資料と言えよう*3。

 この資料収集と整理には、綴りの署名などから逓信省・運輸通信省で海運統制に当たった壷井玄剛氏が大きく関わっていると見られる。壷井氏は戦後いち早く『日本海運の変貌』(日本海事振興会、1946年8月)を著し、そこでも多くの紙幅を戦時海運統制関係の数量データの公表に割いている。同書追記にも「本書中に掲げた諸統計中には、その後に入手した資料により最近の数字と取替へる必要のあるものが尠くない。併し、今はそれも困難なことであるから、一と先づこのまゝにして置いて、別の機会に責を果たすことにしたい。」(38頁)としており、氏が継続的に資料の収集・保管に努めていたことが分かる。また1945年暮れから46年春にかけて、海運・造船関係者らは終戦によって散逸した資料の復元と、動員行政史の取りまとめを開始していた。この点は収録資料の中に、45年11月以後の海運総局海運課と日本海事振興会による『戦時海運史』編纂資料はじめ、日本海事振興会・海軍関係者・造船各社による『戦時造船史』編纂資料、財団法人国民経済研究協会による『物動輸送史』編纂資料、『船舶運営会史』編纂室資料などが含まれていることからも判明する。本コレクシ ョンが形成される経緯については推測の域を出ないが、壷井氏ら海運総局関係者が『戦時海運史』の編纂用にその編別構成案に沿って資料綴りを作成したものの一部と見て大過なかろう。綴りにはそのため『日本海運の変貌』、安田丈助『戦争経済と海運国策』(産業経済学会、1942年)、雑誌等からの切り抜きや原稿など担当行政官の統制解説文書が、原資料とともに挟み込まれ、随所に編集・加工の痕跡がある。『物動輸送史』編纂資料などは、その過程で相互の情報交換によって入手したのではないかと想像される。

 こうした各種の動員行政史を編纂する作業はいずれも困難を極めたようで、『物動輸送史』の編纂は、関係者の聞取記録と未定稿を作成した段階で中断したままであり、『戦時造船史』の編纂作業は、小野塚一郎氏によってまとめられながら、10数年間原稿のままにおかれ、その後海軍関係者らの原稿を合わせて『戦時造船史』(日本海事振興会、1962年)にまとめられている*4。海運総局・日本海事振興会の下で着手された『戦時海運史』の編纂は、その後の経過が明らかにならないが、小野塚一郎氏は「記録を集めるのが主であり、必ずしも刊行を予定したおらなかったが、種々の事情からうまくいかなかった」*5と回顧している。あるいは『船舶運営会史』(1947年)の編纂に引き継がれたと考えられなくもないが、本コレクションの編別構成と同書の構成は相当異なり、同書編纂に全面的に利用されたとは考えられない。その意味で本コレクションを利用した『戦時海運史』編纂作業は、未完のままとなっているといえよう。ただし、1963年に刊行された郵政省偏『続逓信事業史』第1巻総説第6章「海事行政」(粟生沢喜典氏執筆)は、内容的に本資料との重複が多いと思われる。執 筆者の粟生沢氏は、逓信省管船局・海務院・運輸通信省海運総局で海事行政の総合調整事務を担当した経歴をもつ。同書のこの部分は、のちに日本海事振興会から『戦時海事行政史』として別途刊行されたが*6、同書のあとがきによれば、1958年5月の執筆委嘱から1960年8月の脱稿にいたる間に、壺井玄剛氏の綿密な校閲と修正加筆・助言を得たとされている。

 本資料の整理は、森田朋子氏の1年余にわたる尽力によってなされ、また本解題の執筆にあたっては、東京都立大学教授山崎志郎氏の御高教を得た。記して厚く謝意を表する。

 

1999年3月31日 
               東京大学大学院経済学研究科教授                        原       朗

*1これは徹底した計画化の追求、業界団体機能の活用、共同計算による収益性格差の補整による稼働率引き上げといった、「経済新体制期」以後の特徴的な問題処理方式である。

*2米田冨士雄『現代日本海運史観』1978年,376頁。

*3戦時下の木造船計画をやや詳細に扱っているは、管見の限り橋本徳壽『日本木造船史話』(長谷川書房、1952年)だけである。

*4本コレクションには含まれていないが、終戦直後に始められていた艦政本部による技術関係史実調査も海軍の解体などでまもなく中断し、7本の報告が牧野茂・福井静夫編『海軍造船技術概要』(今日の話題社、1987年)に収録されてようやく公表の機会を得ている。

*5前掲『戦時造船史』764頁。

*6郵政省『戦時海運行政史』(日本海事振興会、1963年)