経営史料としての個人文書
              --石川一郎文書の整理に即して--
                   武田晴人助教授      
(昭和58年5月26日第3回企業史料管理研究会での講演記録)

はじめに 

 きょうは,石川一郎さんという経団連の初代会長であった方が残した文書を整理するなかで,私がどんなことを考えていたか,どんな経験をしたかなどを,ご参考までにお話ししようと思います。 資料としての個人文書を保存し,あるいは公開している例は,渋沢栄一の『伝記資料』が,おそらく最も有名なものだろうと思います。それ以外にも,たとえば大蔵省の財政史室には勝田主計や添田寿一のような歴代の首脳が個人的に保存していた文書が,財政史編纂の非常に貴重な資料として残されております。また,通産省でも,商工政策史の編纂に使われた基本資料は,吉野信次の提供した文書が中心になっております。大蔵省も通産省も,結局,個人文書に頼って歴史を編纂しているわけです。 このように,個人文書が経済史とか経営史の資料として,非常に貴重なものとして役立っている。しかし,一般的には個人文書は,その保存が確認できないままに散逸してしまっていることが多いようです。企業史料という観点からみますと,個人文書は少し性格の異なるもの,本来,企業が組織として残す文書とは異質のものですが,そういう組織として残される文書を補完し,量的にも質的にも企業史料 を豊富化していくためには,是非とも個人文書の収集保存を心がけていかなければならないと思います。 お話しする石川一郎文書は,経団連の『30年史』を編纂する過程で,経団連会館の地下倉庫に保存されていることが分かったものです。『30年史』は,最近の20年が対象となっていたので,石川一郎文書を直接利用する機会はありませんでしたが,一見して極めて貴重な資料であることは明白でしたし,経団連の側でも収容スペースに余裕がなくなっていたこともあって,責任ある機関が引受ければ寄贈してもよいというお話があり,東京大学経済学部で是非にとお願いして,お預かりしたわけです。 石川一郎氏については,とくに詳しく説明する必要はないと思いますが,東京帝国大学工科大学を卒業後,同大学助教授を経て,関東酸曹という日産化学の前身会社の一つに入社されて,以降,第2次大戦前は各社の役員を歴任され,化学肥料業界,広くは化学工業界のリーダーとなった方です。昭和16年に日産化学社長,翌年化学工業統制会会長に就任し,化学工業の戦時統制に辣腕をふるわれました。戦後は,昭和20年に経団連の前身になる経済団体連合委員会のメンバーとして参加し,翌21年の経団 連結成と同時に代表理事,23年から初代の経団連会長として,戦後復興期に“財界総理”といわれた地位にたっていた方です。31年に原子力委員会の常勤委員になるのを機に経団連会長を辞任され,その後も,第2代会長石坂泰三氏を援けて,さまざまな要職を歴任し,45年に亡くなられています。

石川一郎文書の概要

  石川一郎氏の経歴のなかで,石川一郎文書がカバーしているのは,昭和17年に化学工業統制会会長になってから,昭和31年2月に経団連会長を辞任するまでの約15年問です。文書のほとんどがB5判型のファイルで,それらは石川さんのところに送られてくる文書を,タイトル別,機関別に整理したものと伺っております。たとえば,経団連なら経団連の各種委員会とか,あるいは化学工業統制会の総会とか,あるいは経団連会長として出席した政府の審議会など……関係した組織に沿ってファイルが全部できあがってきているわけです。入手した文書を石川さんの秘書の方が,それぞれテーマ別,機関別に分け,それにたとえば「化学工業統制会総会」というタイトルを付して1冊のファイルにまとめる。新しく次年度の総会の資料がくると,それに迫加する形でファイルができあがっていく。石川さんはそのファイルを,毎日,出勤の車のなかでお読みになって,その日の仕事の計画をたてたと伝えられております。 したがって,これらの文書ファイルの特徴は,そういう個人に送られてきた文書なり,石川さん自身が参加された会議に提出された文書なりが,日付順で,しかも関係機関別に仕分けさ れて,揃えられていることだと思います。 内容的には,三つくらいに分けることができるようで,第1のグループが化学工業統制会と連盟会の関係資料,第2のグループが関係した政府審議会,民間団体,会社のファイル,第3のグループが戦後10年問の活動の主たる舞台だった経団連と日産協のファイルです。 少し脱線になるかもしれませんが,この資料が持っている意味について,私たちが考えていることを,ちょっとお話ししておきます。いま言いましたように,資料は大別して三つのグループがあり,化学工業の戦時統制と戦後復興について,産業史的に分析することができるであろうとか,第2・第3のグループを基礎にして,戦後の日本経済の復興に際して経団連などが果たした役割,とりわけ種々の経済政策が立案されていくプロセスに,民間が果たした役割を経団連→審議会という順序で追跡するともできるであろうとか,そんな魅力的な研究テーマをいくつも考えることができます。そういう意味で,私自身は,この石川一郎文書が日本現代史研究の第1級の資料と考えています。永年,経団連の地下に保存されていたために,いたみも激しく利用するにはまだいくつか問題が残されており ますけれども,その点も含めて,やや技術的な資料整理の問題を中心に,一つのケースとしてお話ししたいと思います。

「原分類」に即した目録の作成

 先ほどちょっと触れましたけれども,経団連の『30年史』をつくる過程でこの資料の所在を知り,お願いして,経団連会館から東大経済学部の図書館に移していただいたわけですが,それが昭和52年のことでした。そのときお預かりした資料は,私たちの手で整理し,目録を作って経団連に差し上げ,公開については時期をみて改めて検討するということが,口頭の約束ですが条件になっていました。 その当時,石川一郎文書というのは,ファイル数にして約1,700タイトル,それがAからRという分類番号が付けられて,全部で18に分類されていました。これが第1表の左側に書いてある「原分類」というもので,Aの理事関係からRの貴族院まで18のまとまりで整理されていました。そこで,52年に資料を移した時点で私たちは,まずの原分類に即した簡単な目録を作ることにいたしました。この原分類に即した目録は,経団連が『10年史』を編纂するときに,必要に応じて部分的に作ってあったものですから,それに追加する形で,まず資料の全容を知っておこうということで,原分類と原タイトルに忠実に移管時現在の状況を確認するための一覧表を作成したわけです。その結果,実際に資料に付け られている番号からみて,石川一郎文書は少なくとも2,000タイトルくらいあったのではないかということが分かりました。番号が飛んでいて,該当番号のファイルが見つからないとか,『10年史』編纂時の目録には記載されていても資料が残っていないものとか,おそらく1割から2割近くが,どうやら東大に移した時点までに散逸していたようでした。 ところで,実は,この原分類に即した目録を作成したきり忙しいとか予算がないとかのいろいろな理由があって,しばらく手つかずのままになっていたわけです。昭和56年に,たまたま私が東大の経済学部に移ったときに,文部省の特定研究経費のプロジェクトに採択され,約500万円ほどの予算がついたことから,この資料の整理が本格的にスタートすることになりました。それで,昭和56年9月から57年3月にかけて基本的な作業を実施し,分類とかタイトル付けが終わったのが57年6月でした。おおよそ10カ月で資料整理を執行したということになります。

整理方針の決定

 次に,具体的にどのような手続きで資料の整理をすすめたのかをお話したいと思います。 移管された当時,実際の文書ファイルの形態は,板目紙表紙の市販の2つ孔のファイルに綴じられ,その背に墨筆でタイトルと分類番号がついていたわけです。しかし,整理に入るときには,実はファイルがどういうふうに,もともとできあがってきたかが,ほとんど分からなかったわけです。それで仕方がありませんので,ともかく原分類に即したファイルをパラパラとめくりながら,いったいどうすべきかを一生懸命考えるというのが最初の仕事でした。ファイリングが破損して原型が不明のものもあり,それらを含めてファイルを再構成すべきか,原型を尊重するかを考えたのが中心です。というのは,このファイル自体を一つのまとまった資料としてみることができると同時に,ファイルのなかの1枚1枚の書類を,一つの独立した資料とみることもできたからです。整理方針を考えるということでしょうか,そんなつもりで勉強をはじめたわけです。 その結果,この原分類はそれぞれ意味があって作られたファイルというように考えざるを得ないということが分かりました。つまり,たとえば日付順にどん どんファイルに書類が積み重ねられていて,ファイルのなかで前後の文書に関連がないということではなく,一つにまとめられているファイルについて言えば,なんらかの関係をもっていることがはっきりしたわけです。そこで,私たちの方針としては原則としてファイルの原型を崩さないということにいたしました。これは,整理するほうからいうと,もっとも簡便なもので,ファイルを崩して最初から整理をしなおし,ファイルを再構成するというのでは,とても10カ月でやれる作業量ではありません。10年かけてもできないかもしれない。それで原型を尊重しながら,まず詳細な目録カードを作成することを最初の仕事にしました。「原型原則」という資料整理のイロハも知りませんでしたが,結果的には,これが「原型原則」に沿うことになったのは幸いでした。

内容カードの作成と製本

 まず,B5判という大きい判型のカードを作り,これに資料の番号,日付(作成された日付,ないしは会議の日付),資料の名称,タイトルを1件1件,1枚1枚全部書き出していったわけです。たとえば,ファイルの背に「経済団体連合会1」と書いてあっても,その中身がわかりませんので,そのなかに書類1枚1枚,いったいどんな内容のものが入っているのかが分かるように,全部書き出す仕事をいたしました。その場合,どういう手順をとったかといいますと,ファイルは先ほど申したように,委員会の会議録とか,そこで配られた資料という形になっているものが非常に多い。そこで,たとえば会議なら会議の資料を一つの単位として考える。それを一つのまとまりとして,まず日付順に並べる。そのうえで,その一つの単位のなかに,たとえば何月何日開催の経団連○○委員会に配られた文書を,一つ一つとりだして一覧の目録に出していくという仕事の手順をとりました。カードの具体例は第2表のようなものです。 この作業を行った理由は二つあります。一つは,いうまでもなく内容を詳しく知ることが必要だと考えたこと。それと同時に,この作業は書類を1枚ずつ全部見る必要がある わけで,そのなかで資料の保存状態を確認していくという意味もありました。そして,保存状態の悪いものについてはコピーをして差し替えるとか,あるいは裏打ちをして資料の補修をするとかいう作業を全部やっていったのです。 それともう一つは,若干でも収納スペースを小さくしたかったために,たまたま複数,余分に入っている資料は削除していこうということも考えました。しかし,削除はちょっと面倒で,同じものだと思っても全部きちんと読まないと,実は同じであるかどうかわからないとか,たとえば印刷された部分は同じだけれど,片方は石川さんの手書きのメモが入っていて,片方は入っていないというのがありまして,結局あまり削除はできませんでした。 とにかく,こういう作業を含めて,一つ一つ書類をめくりながら,全部タイトルを出していくという仕事をした結果,ほぼ2万枚だったか,5段重ねのファイリングボックスにいっぱいめカードができあがったわけです。そのカードを基本カードと考えまして,次に分類整理をしていくことになったわけです。カード用紙が普通より大きいのは,書きやすさを重視したからですが,製本するときには,このカードをそのままコピー して目次代わりにつける便利を考えたからでもあります。 そんな工夫をしながら,目次も付けた形でファイルを製本することにいたしました。その過程で細かなことですが,ファイリングの順序を上から順に日付順にひっくり返してしまったこと,それから,会議を一つの単位の資料と考えたうえで,目次からの検索がしやすいように仕切りを入れることにしました。ファイルに通しのぺージが打ってありませんので,何かが必要なわけです。インデックスタックのようなものを付けることも考えましたが,これは長持ちしませんので,少し色の違う紙を資料の仕切りとして入れる。第2表のカード例でいうと,左端の数字が打ってある単位ごとに区切りを見やすくするために,色のついた紙を入れることにしてあります。 もう一つは,原型を尊重するといっても,ファイルのなかには1枚〜2枚という程度の書類しか入っていないものもあって,そのまま製本するのは経費的にも技術的にも無理が大きいことが予想されましたので,内容的な関連を考慮して原ファイルを合本し,新しいタイトルに付け変えたものもあります。 こうしたことをしながら,全体として資料の単位を一つの会議というふうに考え ながら,資料のファイルを再編成して,無線綴じで製本し直したというのが,現状のファイルの姿であります。 製本については,これはもっとご専門の方がいらっしやると思いますから,とくに話すべきことはないのですが,ちょうど戦争中から戦後にかけては,非常に紙質が悪くてボロボロで,もうすでに現時点で紙が壊れていくという感じでした。破けるというよりは,ポロポロポロと粉になって落ちていくような状態のものが,かなりありました。そのために,糸で綴じようと思いますとちょっと無理で,通常の製本の方法ではできませんでしたので,私たちは,いわゆる無線綴じの方法を用いました。それは,塩ビ系の糊で綴じるもので,通常の美術本などと同じ綴じ方をしております。ご覧いただければわかりますが,製本できたものについては,かなりしっかりした形で出来ております。

資料の分類整理

 以上で,作業の第2段階が終わったわけですが,それを前提にもう一度分類をやり直すことになりました。これが次のステップになります。具体的には,ファイルの原分類と原タイトルを尊重することを原則として,分類の必要に応じて一部ファイルのタイトルを付け直したり,あるいは,合本によって出来たファイルに新しいタイトルを与えたりしながら,似たようなタイトル,関連する内容のファイルを寄せ集めていったわけです。 分類作業は,詳細な内容カードでは版型も大きく扱いにくいので,普通の手書用図書カードにタイトルだけ写して利用しました。そして,まず資料がおおよそ3つのグループに分かれることが整理のプロセスでわかっていましたから,1.化学工業統制・連盟会,II.政府関係機関・民間諸団体,III.経団連・日産協の3つの柱(前掲第1表参照)をたてて,そのなかに原分類を生かした中分類を,いくつか入れることにしました。原型を,全体として変えないことを考慮したからです。 この大きな分類項目をたてたことで,原分類の意味が少し明確になりました。というのは,はじめ,原分類のAからJまでが,いったい何を意味しているのか分からなかったわけです 。「理事関係」というのは,どういう組織の理事なのか,会長とは経団連なのか,化学工業関係なのかというようにです。それが,目録カードを作り,詳細に内容を書き出すことによって,この部分のファイルは化学工業統制会と,同連盟会の活動に関するものだということがわかりました。もしそうだとすると,原分類では誤解を招く恐れがあるので変更したわけです。分類項目は,誰にでも分かりやすいものでなければならないということでしょう。 2番目の変更点は,第IIグループのうち政府関係機関については基本的には戦前と戦後に分けたうえで,主要官庁(主として所菅する官庁)別に整理し直すため,原分類の順序を大幅に入れ替えたことです。というのは,この部分の原分類は,ファイルが,できた順というか,石川さんが関与した時期の早いものから順に番号が通して付けられている。たとえば,審議会の組織替えが行われると,まったく新しい番号が与えられてファイルの最後に付け足されていく。そのため,関連する機関でもかなり番号が飛んで出てくるわけです。これでは,書庫で並んでいる資料をみるときにも見にくいと思いましたので,先ほど申したような方針で並べ替えをいたし ました。 それから,第3番目に,といっても実は分類の点ではこれが一番の問題点だったのですが,Ⅲの経団連・日産協については新しく中分類の項目をたてて整理していくことにいたしました。経団連と日産協は,石川一郎文書がカバーする時期の石川さんの主たる活動舞台だったのですが,原分類では非常に大ざっぱで,2つの分類項目に数百冊のファイルが前後の関連も不明確なままに,とにかくファイルができた順に番号を付けて並べてあったわけです。余談ですが,要するにこの原分類は,化学工業統制会を中心にできていたということでしょうか。そういう状態だったので,このⅢのグループは全部細かい分類をやり直すことにしました。 その際,私たちは,経団連と日産協には『経団連10年史』などのまとまった記録があるわけで,そうした記録との対応を配慮したほうが,資料の利用もしやすいのではないかと考えました。『10年史』や『経団連30年史』は,経団連の事務局の機構・編成を考慮して,総合対策,財政金融政策,産業政策,通商(対外)政策,経済法規,防衛政策の順に叙述されております。これにならって,文書の分類のUからYまでの5項目を作ったわけで,間接的ではあ りますが,文書が作成された機関の組織のあり方に対応させたということになります。おそらく,社史などの企業史料の場合には,各文書を作成した組織を基準にして分類するという方法が,これに似た方法として有用ではないかと思います。 以上、少し話がわかりにくくなったかもしれませんが,いろいろなことを考えながら,最終的には分類していきまして,現在のところタイトル数でいうとだいたい900くらいのタイトル,実際の冊数でいうと1096冊というふうになっております。原分類のときは,だいたい1700ファイルでしたから,そのうち約600ファイルは合本等で減ったということになりますが,資料そのものについては,全部きれいに保存されております。

資料に即した整理を

 まだ少し時問がありますから,これまでに話しました資料整理の状況を前提にして,いま考えていることを若干補足しておきたいと思います。 私たちが石川一郎文書を整理しながら,いちばん気にしていたことは,個人文書について−企業史料についてもそうかもしれませんが−資料整理の一般論,一般的な方法論があるのか,具体的に使いやすいことを考慮して整理分類するうえで,いったい一般論があるのかどうかということです。しかし,あまり参考になるものはありませんでした。通常とられているのは,大きな分類だけ考えて,あとは年代順に並べるという程度で,それ以外では資料が入手された順に配列されるだけで十分な分類目録もないというのが実情だと思われます。 そのために,そういう一般論がないとすれば,やれるとすれぱ,個別的にやるしかないということで,たとえば,石川一郎文書の場合には,どういう分類が適当であるかということを考えました。逆に言いますと,それがむしろ石川一郎文書の整理にとって良かったように思います。 言い変えますと,資料に即した分類を考えること,あまり一般的に考えないで,資料に即した分類を考えるということのほうがいいとい うことであります。そしてその場合に,もし考慮すべきことがあるとすれば,一つは分類自体がわかりやすいこと,もう一つは関連資料の参照がやりやすいことだと思います。 石川一郎文書の原分類にあった「理事関係」というような意味の不明確な分類項目は困りますし,誰にでも分かるような分類基準・項目が望ましいことはいうまでもありません。その場合『経団連30年史』のように,ほかに有力な関係資料がある場合には,これに準拠して分類の基準をつくるのも一つの案として有用で,こうした方法がとれれば,分類する側にとっても,利用する側にとっても,両方とも仕事がしやすくなることは確かでしょう。もちろん,石川一郎文書の場合に3つに大きく分けたような,少し性格の違うものについての分類は生かしておいたほうがいい。その点も含めて,資料に即した分かりやすい分類を考えていくこと,一般的にというか,他所でこうやっているから,その整理方法がどこでも適用するということではなくて,たとえば企業史料であれば,企業の組織の変遷に従って,その組織の変遷の大所をつかまえながら,文書を,それぞれ組織としてできあがってくる文書であれば,その組織単位にある程 度整理していくということも必要なのではないかというふうに思います。

詳細目録の作成

 もう一つ,重要だと考えられることは,内容目録の作り方だと思います。ふつうには,保存されている資料は,表紙などにタイトルがついていれば,そのタイトルだけ目録に取って整理を終わります。しかし,そけだけだと,実際に使おうと思ったとき,いったいその文書ファイルのなかに,どんなデータ・資料が入っているかわからないのです。どう使っていいのかもわからない。そうすると,宝の持ちぐされになって,場合によっては捨てられてしまうことさえある。 そのために,できるだけ詳しい目録をつけることが,整理をしていくうえで必要だろうと思います。それをやっていくことが,その資料の性格を知り,どういうかたちで全体を分類できるかがわかってくるということです。その間には,おそらく整理方法でかなり試行錯誤があるのだろうと思いますけれども,実際,私たちがやった場合でも,最初の1カ月ないし2カ月ぐらいは,やり直しがずいぶんと出ました。それでもしょうがないので,とにかく後のことを考えてやり直そうということで,ずいぶん試行錯誤をしたというか,カードをむだにしたというか,とにかく時間をむだにしたわけです。 ただ,それはやはりやったほうが いい。詳細な目録をつくって,たとえば目次として付けておくということが,資料を見ていくうえでは有益だろうと思います。その場合,私たちは,それに即したカードをつくったわけでカードも出来合いのものでも十分ですが,ある特定の資料について整理する場合であれば,独自の目録カードをつくるのも,一つの方法だと思います。コスト的には,そんなに高いものではありません。おそらく枚数的に多くなれば市販のカードを買うよりは安くできるし,様式も自分たちが使いやすいように,いろいろなものを考えればいいわけですし,どういう工夫をするかは,それぞれの資料の性格によると思います。 カード作成費の話が出ましたので,経費の話を御参考までに紹介しておきます。協力人員は7名ほどで,全体で延べ450日余り投入していますが,予算総額が500万円で,そのうち350万円が人件費,製本費が1冊800円見当で合計100万円,残り50万円はコピ一代やカード印刷費などです。

残された課題

 石川一郎文書の整理という仕事は,これで完了したわけではありません。まだ残された仕事がありまして,ご紹介したような詳細なカード目録を前提にして,冊子体の目録を作りたい,それもきめの細かい索引のついた目録にしたいと思っています。冊子体の目録にまとめれば,関心のある人はいつでも手元で目録をみることができるようになって便利だと思いますし,それだけ資料も利用されて役に立つことになるだろうと考えられます。索引として考えているのは,関係機関別というようなものです。せっかくの詳細なカードがあるわけですからといっても,そのカード全部を印刷して本にするわけにもいきませんので,その内容に従って索引を作ろうと思います。関係機関は,おそらく1,000を下るまいと思うのですが,それをカードから詳細に拾って索引を作る。たとえば,現状ではタイトルに出るような機関については,それぞれタイトルの付いたファイルを見ることはできますが,それ以外のファイルにもその機関に関する資料が入っているという場合には,まったく分からないわけです。内容カードまで戻れば探すことができますが,しかし,2万枚に及ぶカードの全部に戻って調べるというの は大変ですし,よほどのもの好きでなければやれません。そこで冊子体の目録を作るときには,できるだけ関係機関に即した索引を付して,ある機関については,このファイルとこのファイルが基本のデータであるが,それ以外にもことここのファイルには,関連するデータが載ってますよというようなことがわかるような形で,索引をつけてみたいと思います。ただ,これは図書館の専門的な仕事の領分でもありまして,まだ手がついていません。いまのところは,詳細な内容カードと,製本されたファイルとが並べてあるという状況で宿題が残っております。 以上,とりとめもなく話してまいりましたが,実は私自身は,日本経済史を専攻しているといっても,戦後経済史については詳しくないわけで,ましてその下で働いて下さった人達は,経済史研究とか資料整理とかには縁のない人たちばかりで,高校の教員だったり,小説家志望の学生だったり,花嫁修業中のお嬢さんだったり,そんな非専門家集団と言ってもいいものでした。きょうの話はそういう人たちで石川一郎文書というものに取り組んだ,いわば作業記録にすぎないものです。企業史料の専門の方がたから見ればかなりいい加減なものであ ることも間違いないと思いますので,こういう機会を利用して皆さんにもご意見を伺い,私自身も勉強したいと考えています。